岩殿観音

2016年末に定年退職しました。 このブログでは、埼玉県比企郡鳩山町を中心にした植生写真を掲載します。 その他、その地誌、趣味の木工、旅行、お酒にも触れます。

2018年元旦~岩殿初詣!~正月膳をいただきます!!

2018年元旦です。
お家から初日の出をめでた後、近くの岩殿観音に徒歩にて初詣に神さんと出かけました。
ここ3年間の我が家の通例行事で、これぞわたし流です。
我が家のある鳩山ニュータウンから石坂の森に入り、東松山市民の森に抜け岩殿観音へと進みます。
30分程で岩殿観音着です。
境内は物見山から初日の出を拝んだ後の人でにぎわっていました。

 岩殿観音とは、東松山市にあります真言宗の寺で正式名称は正法寺観音堂です。
坂東三十三か所十番札所という寺格の寺院です。
「寺伝によれば養老2年(718年)に、沙門逸海が千手観音像を刻み開山し正法庵と称し、鎌倉時代初期に源頼朝の命で比企能員が復興した。頼朝の妻北条政子の守り本尊だったと伝わっている。」[1]
ということで、本年は開山1300年となります。

 Photo. 1 をご覧ください。
岩殿観音、正しくは正法寺観音堂です。
本尊千手観音が納められています。
境内には開山1300年記念事業のお札がたっていました。



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Photo. 1 岩殿観音 正法寺
左:観音堂、  右:開山1300年記念事業のお札

 線香とお燈明を購入し、ともに火をともして納めます。
いつもと異なり、五色のきれいな綱が3本はられています。
Photo. 2 をご覧ください。
お手綱の仕掛けです。
綱の先はご本尊千手観音の御手に結ばれているとのことです。

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Photo. 2 正法寺 観音堂
左:お手綱、 中:書き物、 右:ご本尊千手観音

 例年通り観音堂内の札所にてお札を求めます。
Photo. 3 をご覧ください。
商売繁盛、厄除け開運、家内安全、身体健全の4種類を選択できます。
昨年に引き続き身体健全を選択しました。
横の雄賓頭盧様を拝み、その御頭を撫でました。
1300年記念事業に賛同した旨伝え、奉賛の登録をしました。
正法寺の名物である大銀杏の枝から出来たお守りは、後ほど郵送されてくるとのことでした。


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Photo. 3 上:正法寺 お札、 下左: 正法寺 雄賓頭盧様,  下右:正法寺 大銀杏

 正法寺初詣の締めは、境内の鐘楼銅鐘を衝くことです。
Photo. 4 をご覧ください。
銅鐘は、
「元亨2年(1322年)に鋳造されたもので、外面に無数の傷が付いており、これは天正18年(1590年)に豊臣秀吉による関東征伐の際に、山中を引き回した時の傷だと伝えられる。」[1]
ということです。
また、鐘楼は江戸期のもので屋根が草葺で山寺にふさわしい趣があります。
鐘を衝きますと、力強い音が響きまわります。


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Photo. 4 上:正法寺 鐘楼、 下:鐘楼銅鐘の説明札

 これにて正法寺をあとにして、次は東松山市民の森に戻り石坂の森内の見晴らしの丘を目指します。
ここから富士山を拝もうという趣向です。
正法寺から20分程度で、見晴らしの丘に到着しました。
本日は雲もなく快晴日和ですので、北方向には日光連山、赤城山系、榛名山系、雪を被った上越山系と素晴らしい見晴らしです。
西方向には、奥武蔵山系、秩父山系とこちらもくっきりと眺望できます。
Photo. 5にありますように、お目当ての富士山も見えました。
元旦に夢でなく実物の富士を見ましたので、最大のご利益を期待いたします。

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Photo. 5 鳩山町石坂の森 見晴らしの丘からの富士山

 さて石坂の森を経て、我が家に到着したのは出発してからはや2時間を経過し午前9時を過ぎていました。
 早速正月膳の準備を開始します。
元旦は正月膳を和室の座卓に設定しますのが我が家流です。
Phto. 6 をご覧ください。
我が家流では、古流清和会の神さんが生花を生けます。
おせちは特に変わったものはありませんが、我が家流では伊達巻と紅白蒲鉾以外のすべて神さんの手作りです。
一人膳には、これもお手製の黒豆・数の子・田作りの祝いの酒肴3種をのせます。
正月に祝い酒を備前でそろえた酒器でいただきますのがわたし流です。
締めは雑煮ですが、我が家流は鶏だしの小松菜入りとなります。
ご馳走様でした、さてお年賀をこれより拝見といたします。


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Photo. 6 我が家の正月景色
上左:全景、  上右: 正月生花
下左:おせち、 下中:一人膳に盛った祝いの3種の酒肴とお祝酒、  下右:雑煮

岩殿観音(正法寺)の六面幢:謎の横穴群は何か!!!!!

昨日のウォークでは、岩殿観音(正法寺)六面幢にまず向かいました。
この六面幢のロケーションは、岩殿観音(正法寺)の境内ではなく谷を隔てた尾根筋にです。

 Photo. 1 に示しますように、緑泥片岩(青石)製の正六角柱状板碑で側面に彫り物が施されています。
種字 梵字の判読は、このままでは困難です。
傍らに、東松山市教育委員会作成の標識がありました。
Photo. 2 に示しました。
標識に記載されている内容を下記にて要約します。

1) 建立年: 天正10年(西暦1582年)
2) 建立者: 岩殿山の僧道照
3) 目的: 俊誉・妙西・道慶・俊意らの菩提供養

なお、標識には埼玉県の指定文化財と記載されていますが、指定文化財のリスト[#1]には掲載されていませんでした。
調べましたところ、県指定史跡のリスト[#2]の26番目に掲載されていました。

 ここでこの六面幢の上記目的に注目しますと、俊誉・妙西・道慶・俊意らの菩提供養とあります。
この中の俊誉は、栄俊の弟子と板碑には記載されています[#3]。
新編武蔵国風土記稿[#4]によれば、栄俊とは天正2年に正法寺を再建しました別当栄俊と考えられます。
また新編武蔵国風土記稿[#4]では、俊意とは比企郡飯島村の正徳寺を開山した僧ではないかと示唆しています。
いずれにせよ、俊誉・俊意はそれなりの高僧と考えられます。


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Photo. 1  岩殿観音(正法寺)六面幢

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Photo. 2  岩殿観音(正法寺)六面幢に関しての標識


 ところで、ここにはいままで数回訪れたことがありましたが、いつも気になっていたことがあります。
それは、この六面幢付近にある横穴の存在でした。
Photo. 3 に示します。
凝灰岩壁に、大小4基の横穴が並列配置され横穴群を形成しています。
Photo. 3 では、数量4基の確認は難しいですね。

 4基の横穴の個別写真をPhoto. 4 に示します。
手前から奥行方向に、各横穴に横穴 a, b ,c , d と識別することにします。
1) 横穴a は、開口部が土砂に半ば埋もれています。
2) 横穴bは、穴の高さ・幅ともに開口部から奥行方向に向かって減少しますが、奥行の半分からは一定となっています。
3) 横穴cは、横穴bと類似しておりほぼ同一と見えました。規模も横穴 a b が4基中で最大と見えます。
4) 横穴dは、横穴dの上部凝灰岩壁が崩壊しその開口部を半分以上にわたり覆っていて内部がよくわかりませんでした。

 この横穴はいったい何でしょうか。
現在までの私の調査では、この横穴に関する資料が見当たりません。
従いまして、これよりは先は私の推理となります。
まず横穴の数量4が、六面幢に記載された主たる僧侶である俊誉・妙西・道慶・俊意の数と一致いたします。
これより、この横穴は上記僧侶に関係したものであり、例えば墳墓の可能性があるように考えられます。
ただし、天正年間に僧侶を横穴に埋葬したような風習が存在したのか否かは疑問符が付きます。
しかしながら、墳墓と推定しますとこの地点に六面幢を建立した理由が確定します。
俊誉・妙西・道慶・俊意に関連する横穴群に接近して、4人の菩提を供養したことと理解されます。
冒頭に申し上げましたように、六面幢岩殿観音(正法寺)の境内ではなく谷を隔てた尾根筋に存在しているのです。

 別の可能性としては、この地域にしばしばみられる古墳時代横穴墓ではないかという考え方もできるかもしれません。
例えば、この近辺にあります鳩山町の十郎横穴群を挙げられます。
しかしながら、前述しましたように六面幢横穴に関する資料も見当たらず、古墳時代の遺跡と考えるには否定的にならざるを得ません。

 私としては、前者の可能性が高いかと考えています。
どなたかご存知の方は、情報をお寄せください。


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Photo. 3  岩殿観音(正法寺)六面幢付近の横穴群
手前から奥行方向に、4基の横穴を横穴 a, b ,c , d と識別します

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Photo. 4  横穴群の個別写真:上左;横穴a、上右;横穴b、下左;横穴c、下右;横穴d


 このあと岩殿観音(正法寺)の境内にでますと、鐘楼わきの早咲きの桜が満開でした。
この春初めての桜となりましたが、彼岸桜でしょうか。
Photo. 5 をご覧ください。
葉も展開を開始しています。
遠景に見えます御堂は、百地蔵堂となります。


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Photo. 5 岩殿観音(正法寺)境内の早咲き彼岸桜:遠景は百地蔵堂


参考文献
[#1]: 埼玉県. 埼玉県指定有形文化財. https://www.pref.saitama.lg.jp/f2216/documents/11.pdf
[#2]: 埼玉県. 埼玉県指定史跡. https://www.pref.saitama.lg.jp/f2216/documents/14-1.pdf
「No.26:正法寺六面幢:板石塔婆6枚を六角形に組み合わせたもの。高さ1.15m、天正10年銘。蓋石に彫刻」と記載されています。
[#3]: 国立国会図書館.デジタルコレクション.「埼玉県史蹟名勝天然紀念物調査報告第五輯」. http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1122124/61?tocOpened=1
[#4]: 東松山市教育委員会、新編武蔵国風土記稿 寺院 堂庵 書上、東松山市、1981



ウォーク・ルーティンの終了

本日も東松山市の市民の森をウォークしました。

埼玉でも古刹として大変有名な正法寺(岩殿観音)が本日のウォークの出発地でした。

正法寺に関しましては、千手観音、梵鐘、算額、仁王像、石段、門前町など興味深い事項が多々あり、いずれ個別にじっくり考察したいと考えています。

さて本日は、境内にありましたシダ植物に関しましてご案内いたします。

Photo. 1, 2 に示しますシダ植物が、崖に存在していました。

1回羽状複葉、1-3対の側羽片と頂羽片、辺縁は不規則な鋸歯縁等の特徴からマツザカシダ(松坂羊歯)と推定されます。葉の表面は緑色で、中央には白斑はみられませんでした。
この推定の根拠は、参考文献 [#1] に基づきます。
前回ご案内のイノモトソウとは同属です。イノモトソウに存在しました特徴的な中軸の翼はありません。


イノモトソウ科イノモトソウ属>マツザカシダ
[学名]:Pteridaceae Pteris nipponica Shieh


1) 学名の Pteris は、「pteron(翼)。羽状の葉形から来たもの」[#2]
2) nipponica は、「日本の」 という種小名です。
3)
Shiehは、命名者です。調べましたが不明でした。

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Photo. 1   マツザカシダ Pteridaceae Pteris nipponica Shieh


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Photo. 2   マツザカシダ Pteridaceae Pteris nipponica Shieh


Photo. 3 には、葉柄基部を示してます。
無毛で、わずかに褐色が買っています。鱗片は見られません。

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Photo. 3   マツザカシダ葉柄基部



参照文献
[#1]: 岩槻邦男編、日本のシダ植物 シダ、平凡社、1992、ISBN4-582-53506-2
[#2]: "属名解説". 百科瞭然. http://www.geocities.jp/nonkihoke/ryozen/zokumeik.htm#[D]
ギャラリー
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プロフィール

nonchan

ブログデビューしたてのビギナーです。 定年リタイア後、ルーティンとして週5のウォーキングと週2のスイミングを課してます。 ブログでは、わたし流の生活から派生した事項を載せるつもりです。 まずは、ウォーキング中に撮影した自宅付近の植生の写真を載せます。 趣味の木工も掲載しようかと考えています。